壁画の記録などからビールの醸造は古代エジプト時代に行われていたという説があります。その頃のビール造りは、焼いたパンを水に溶かして作る方法だったとされており、それは現在の「麦汁」を発酵させて行うビールの醸造法に近い形でもあります。
12世紀頃、ドイツの修道僧によりホップの苦味や腐敗防止効果が明らかにされると、それまでビールの味付けに使われていたグルート(ハーブなどの植物の混合物)に代わって、ホップが使用されるようになりました。これにより、修道院で造られるビールの品質は向上し、修道院の収入となっていました。
18世紀にイギリスで始まった産業革命はヨーロッパへ広がり、大規模生産の時代となります。同時期に誕生したのが現在最も飲まれている淡色ラガービールの一種「ピルスナー」です。低温で発酵・熟成させるラガービールは雑菌が増殖しづらく腐敗を免れるため大量生産に向いていました。また、ガラスの大量生産が行われるようになると、人々は透明なガラスのグラスに淡色ビールを注いで楽しむようになり、それは世界に広まっていきました。
産業革命以降、それまで一般的だったエールビールを造る醸造所は減少していきました。しかしその一方で、ビール純粋令を守るドイツや、多様なスタイルを持つベルギーなど、それぞれの地域の特色を持つ醸造所は残りました。
アメリカでは1920年からの13年間、アルコールの生産と飲酒が禁じられた禁酒法によって、次々と醸造所が閉鎖していった時代がありました。1933年に禁酒法は廃止されましたが、アメリカ国内の醸造所の数が法の制定前の規模に回復することはありませんでした。
そのため、大手の醸造所が巨大な勢力を持ち、そこで大量生産されるラガービールがアメリカでの主流ビールとなっていきました。ところが1970年代に入り変化が起こります。そのきっかけのひとつがホームブリューイング(自家醸造)の解禁です。これにより個人のビール愛好家が自分の飲みたいビールを自由に造り始め、独自のネットワークを通して情報交換などをしていったことで、ビールの改良やスタイルの豊富化に繋がっていったのです。そしてこの流れは、アメリカンクラフトビールの基盤のひとつになったと言われています。
日本で最初のビール醸造所は、明治時代(1870年)に、アメリカ人の醸造技師ウィリアム・コープランドが横浜で、スプリングバレー・ブルワリーを始めたのが最初と言われています。ウィリアム・コープランドが造ったビールは、横浜の居留地に住んでいた外国人たちの間で評判となり、やがて日本人にも飲まれるようになっていきました。
麦芽とは、麦を水に浸して発芽させたものです。ビールの色と大まかな味は使用する麦芽により変わり、麦芽の組合わせや使用量によりドライ、さっぱり、モルティーなど風味が異なります。スタウトなどの黒ビールにはロースト麦芽が使われます。大麦の使用が一般的ですが、白ビールと呼ばれるヴァイスビールには小麦麦芽を使用します。
ホップとは、アサ科のつる性多年草で、ビールに苦味と香りを与えます。IPAのように、香りが際立ち苦味が強いビールにはホップがふんだんに使用されています。代表的なホップにはアメリカのカスケードやチェコのザーツなどがあります。
どこでも手に入る水ですが、実はこの水の質がビールの味を大きく左右します。一般的に、すっきり系のビールには、カルシウムやマグネシウム、炭酸塩の成分が少ない軟水が向いていて、しっかり系のビールには、それらの成分が多い硬水が向いていると言われています。
麦汁にビール酵母を加えて発酵、熟成させることで、ビールが誕生します。ビール酵母はエールやヴァイスビールなどの「上面発酵酵母」とラガービールとなる「下面発酵酵母」に大きく分かれていて、酵母によって発酵温度や発酵日数に違いがあります。ビールのフルーティーな香りや味はその酵母の種類によって変わります。
麦芽とお湯を入れ、液中のデンプン質を糖化させる。
糖化液をろ過し、麦汁を造る。
麦汁にホップを加え、苦味と香りをつけ、煮沸する。
熱で固まったタンパク質やホップ粕を取り除く。
加熱して無菌となった麦汁を冷却し、発酵に適した温度にする。
ホップの香りがついた麦汁に酵母を加え、数日発酵することで若ビールが誕生。
若ビールを貯酒タンクに移し、数週間熟成させる。